妊娠期の不安により早産リスクが17%上昇―福島原発事故からの教訓
[26/03/23]
提供元:共同通信PRワイヤー
提供元:共同通信PRワイヤー
―Googleトレンドデータが明かす放射線不安と出生アウトカムの関係―
妊娠期の不安により早産リスクが17%上昇―福島原発事故からの教訓
―Googleトレンドデータが明かす放射線不安と出生アウトカムの関係―
詳細は早稲田大学HPをご覧ください。
発表のポイント
●東日本大震災および福島原発事故の発生から早くも15年が経過しました。本研究では、この事故後に全国へ広がった放射線への不安に着目し、妊婦の心理的ストレスが胎児の健康にどのような影響を及ぼし得るのかを検証しました。
●福島原発事故後、放射線被ばくがほとんどない地域に居住する妊婦においても出生アウトカムの悪化が確認されました。これは、放射線への不安や恐怖といった心理的ストレスそのものが胎児の発達に影響を及ぼし得る可能性を示しています。
●Google検索データを用いて新たに構築した「不安指標」により、不安の水準が高い地域ほど出生アウトカムが体系的に悪化することが確認されました。不安の強さに応じて影響が拡大する「用量反応関係」(※1)が示されています。
●こうした影響は社会経済的に不利な立場にある妊婦により強くみられました。災害による心理的ストレスが既存の健康格差を拡大させ、次世代に長期的な影響を及ぼす可能性が示唆されます。
恐怖や不安そのものが、胎児の健康に影響を及ぼすことはあるのでしょうか。しかし、その影響を物理的被害と切り分けて明確に示すことは、これまで困難でした。本研究は、その問いに対して、物理的被害がなくても、不安そのものが胎児の健康に影響を及ぼし得ることを示しました。2011年の福島原発事故後、日本全国で放射線への不安が広がりました。これは、実際の放射線被ばくがほとんど確認されていない地域にも及んでいました。本研究では、約100万件の出生記録と国勢調査データを結合し、Googleトレンドの検索データから構築した新たな不安指標を用いて分析を行いました。その結果、不安の水準が高い地域に居住する妊婦では、早産が約17%増加し、出生体重も22〜26グラム低下していたことが明らかになりました。さらに、こうした影響は、教育水準や所得が比較的低い妊婦において特に大きく、影響が集中していることが示されました。
本研究は、早稲田大学商学学術院の富蓉(フ・ヨウ)准教授(兼コロンビア大学客員研究員)、ソウル国立大学社会学部の???(ソン・ユンキョウ)准教授、神奈川県立保健福祉大学ヘルスイノベーション研究科の沈奕辰(イチェン・シェン)助教、早稲田大学政治経済学術院の野口晴子(ノグチ・ハルコ)教授による研究チームによって実施されました。
本研究成果は、Elsevier社が発行する国際学術誌『Journal of Health Economics』(論文名:Invisible threat, tangible harm: Radiation anxiety and birth outcomes after Fukushima)に掲載され、2026年3月7日(現地時間)にオンライン版が公開されました。
これまでの研究で分かっていたこと
健康経済学および疫学の研究では、妊娠期における妊婦のストレスが出生体重や在胎期間といった出生アウトカムに悪影響を及ぼし、それが子どもの教育成果や将来の経済的成果にも長期的な影響を及ぼすことが示されています。こうした研究においては、地震、ハリケーン、テロ攻撃などの自然災害が、疑似的にランダムに発生するストレス曝露として利用されてきました。しかしながら、こうした研究には共通する限界がありました。それは、自然災害が通常、心理的なトラウマと物理的被害、さらには経済的・社会的混乱を同時にもたらすために、災害によって生じる心理的影響と物理的・経済的影響とを切り分けて分析することが困難だという点です。このため、不安そのものが、物理的被害や経済的混乱とは独立して胎児の発達に悪影響を及ぼし得るのかという点については、これまで科学的に明確に検証することが難しい課題とされてきました。
今回新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、新しく開発した手法
本研究では、福島原発事故後に全国へ広がった放射線への不安に着目し、妊婦が感じる不安や恐怖が胎児の発達にどのような影響を及ぼし得るのかを分析しました。実際の放射線被ばくは主として東北地方に限られていた一方で、放射線への不安はメディアやソーシャルネットワークを通じて全国に広がりました。本研究では、物理的な被ばくがほとんど確認されていない地域に注目しつつ、地域ごとに不安の程度が異なっていた点を手がかりとして、「恐怖や不安そのものが胎児の健康に影響を及ぼし得るのか」という問いを検証しました。
この問いを検証するため、本研究チームは、Googleトレンドのデータを用いて「検索人気指数(Search Popularity Index: SPI)」(※3)を新たに構築しました。これは、事故後1か月間に日本国内の47都道府県において、原子力発電所に関連するキーワードがどの程度検索されたかを測定した指標です。この指数は放射線への不安の広がりを捉える指標であり、事前にほぼゼロであったのが、事故の直後に急激に上昇しました。また、福島に近い都道府県や、原子力発電所が稼働している都道府県でSPIが高い傾向が確認されました。さらに、SPIが高い地域ほど妊娠に関連する医療相談が増える傾向にあったことから、この指標が妊婦の不安を反映している可能性が高いことが示唆されます。
本研究では、心理的影響と物理的・経済的影響とを可能な限り切り分けて分析するため、津波被害地域および高線量地域を分析対象から除外しました。そのうえで、互いに補完的な3つの分析方法を用いました。第1に、事故発生時に妊娠中であった場合と、事故前にすでに出産を終えていた場合とを比較しました。第2に、同一の母親から生まれた兄弟姉妹を対象に、母親妊娠中に事故に曝露した場合の子どもと、そうでない場合の子どもとを比較しました。この方法により、遺伝やもともとの健康状態など、家族に共通する要因を厳格に統制することができます。第3に、都道府県ごとの不安の強さと出生アウトカムとの関係を検証しました。具体的には、SPIを連続的な曝露指標として用い、不安の強さに比例して出生アウトカムが変化するかどうかを分析しました。
これら3つの分析方法はいずれも一貫した結果を示しました。妊娠中に事故に曝露した場合、早産は17%増加し、出生体重は平均で22〜26グラム低下していました。また、家族要因を厳格に統制した兄弟姉妹比較でも、早産が6〜9%増加し、出生体重が約9グラム低下することが確認されました。さらに、用量反応分析の結果、放射線への不安だけで、早産増加の72〜79%、極低出生体重の増加の最大88%が説明されることが示されました。影響は特に妊娠初期に事故に曝露した場合や、教育水準や世帯所得が比較的低い母親において大きくみられました。一方、栄養摂取や健康行動に関するデータを分析した結果、事故後に食事内容や健康行動が変化した証拠は確認されませんでした。これらの結果は、出生アウトカムの悪化が行動の変化ではなく、心理的ストレスによって生じた可能性を示唆しています。
研究の波及効果や社会的影響
本研究は、核事故やパンデミックのような「目に見えない脅威」が、直接的な物理的被ばくがない集団においてさえ、心理的な経路を通じて次世代の健康に測定可能な影響を及ぼし得ることを示しました。この知見は、次の3つの重要な示唆を与えます。第1に、災害時のリスクコミュニケーションそのものが、公衆衛生上の重要な介入となり得るということです。科学的根拠を超えて恐怖を過度に強調するメッセージは、次世代の健康に長期的な影響を及ぼす可能性があります。第2に、妊娠期のメンタルヘルス支援を災害対応の重要な要素として位置づける必要があるということです。特に、社会経済的に不利な立場にある母親ほど影響を受けやすいため、こうした人々を優先的に支援することが重要です。第3に、災害による心理的ストレスの経済的コストは非常に大きいにもかかわらず、これまで公式の被害推計にはほとんど含まれてこなかったということです。本研究の試算では、不安の増大に伴う出生アウトカムの悪化による生涯賃金の損失だけでも、影響を受けた出生コホート全体で約4,800〜6,100億円規模に達する可能性があります(医療費や特別支援教育費は含みません)。
課題、今後の展望
SPI指標は都道府県レベルで不安を捉えるため、都道府県内の個人差が見えにくくなる可能性があります。また、集計的な検索行動が個々の妊婦の不安水準を完全に反映しているとは限りません。個人レベルの心理データが利用できれば、より精緻な推計が可能になると考えられます。本研究では出生アウトカムを主な分析対象としており、出生前の放射線への不安が認知能力、精神的健康、教育達成度などに与える影響については、今後の長期的なモニタリングが必要です。さらに、知覚されたストレス曝露後の親の補償的行動(※4)や、積極的なリスクコミュニケーション、メンタルヘルス介入などによって、これらの影響をどの程度軽減できるのかについても検討が求められます。本研究で開発した方法論的枠組み――デジタルトレースデータを用いて危機時の集団レベルの不安を測定する手法――は、パンデミックや気候関連災害など、今後生じ得る「目に見えない脅威」を伴う事態にも応用可能です。
研究者のコメント
本研究は、中国、韓国、台湾、日本という東アジアの異なる地域で育った4名の研究者が、早稲田大学で偶然出会い、「次世代を担う人々の健康とwell-beingを左右するものは何か」という問いに対する共通の問題意識から生まれた協働研究です。責任著者の富蓉が日本を訪れたのは、福島原発事故からわずか47日後のことでした。原発から何百キロも離れた地域においてさえ、人々が深い不安を抱えている現実を目の当たりにしました。私たちの研究を突き動かした問いはシンプルです――不安や恐怖だけで、胎児に悪影響を及ぼすことがあるのか。本研究が示したのは、その答えが「イエス」であるということ、そして、危機の際により明確なリスクコミュニケーションと適切なメンタルヘルス支援があれば、今を生きる人々だけでなく、まだ生まれていない命を守ることにもつながり得るということです。早稲田大学ソーシャル&ヒューマン・キャピタル(WISH)研究所(※5)では、国境や地域を越えた研究者の協働を通じて、これからも人類のwell-beingに貢献する研究を続けてまいります。
用語解説
※1 用量反応関係(dose-response relationship):
原因の強さ(曝露量)が増すにつれて、結果として生じる効果の大きさも体系的に増大する関係である。本研究では、不安が高い地域ほど出生アウトカムが悪化する傾向を指す。
※2 早産(preterm birth):
妊娠37週未満で生まれること。新生児期において呼吸器疾患や発達上のリスクが高まることが知られている。
※3 検索人気指数(Search Popularity Index: SPI):
本研究で開発された指標である。福島原発事故後に各都道府県で放射線への不安がどの程度高まったかを、Googleトレンドの検索データを用いて定量化したもの。
※4 補償的行動:
子どもが健康リスクや不利な環境に直面した際に、その影響を軽減するために親がとる行動である。例えば、食事や健康管理の改善、医療サービスの利用、教育投資の増加などが含まれる。
※5 早稲田大学ソーシャル&ヒューマン・キャピタル研究所(WISH: Waseda Institute of Social and Human Capital Studies):
持続可能な社会の実現に向けて、社会福祉や人的資本に関する実証研究および理論研究を行う早稲田大学の研究所である。健康、教育、社会経済的条件などによって形成される人的資本が世代間でどのように継承されるのかを主要な研究課題とし、東アジアおよび世界各地の研究者と協働しながら、不平等、well-being、人類社会の長期的発展に関する政策的課題に取り組んでいる。(https://prj-wishproject.w.waseda.jp/en/index.html)
論文情報
雑誌名:Journal of Health Economics
論文名:Invisible threat, tangible harm: Radiation anxiety and birth outcomes after Fukushima
執筆者名(所属機関名):Rong Fu*(早稲田大学・コロンビア大学)、Yunkyu Sohn(ソウル国立大学)、Yichen Shen(神奈川県立保健福祉大学)、野口晴子(早稲田大学)
掲載日時(現地時間): 2026年3月7日(オンライン公開)
掲載URL: https://doi.org/10.1016/j.jhealeco.2026.103125
DOI:10.1016/j.jhealeco.2026.103125
*責任著者
研究助成
研究費名:厚生労働省科学研究費補助金
課題番号:19-FA1-013、19H05487
研究代表者:野口晴子(早稲田大学)
データ利用承認:統発1005第2号
倫理審査承認:早稲田大学倫理審査委員会(2021-HN010)
【キーワード】
出生前ストレス、出生アウトカム、福島原発事故、放射線不安、早産、出生体重、Googleトレンド、自然災害、健康格差
妊娠期の不安により早産リスクが17%上昇―福島原発事故からの教訓
―Googleトレンドデータが明かす放射線不安と出生アウトカムの関係―
詳細は早稲田大学HPをご覧ください。
発表のポイント
●東日本大震災および福島原発事故の発生から早くも15年が経過しました。本研究では、この事故後に全国へ広がった放射線への不安に着目し、妊婦の心理的ストレスが胎児の健康にどのような影響を及ぼし得るのかを検証しました。
●福島原発事故後、放射線被ばくがほとんどない地域に居住する妊婦においても出生アウトカムの悪化が確認されました。これは、放射線への不安や恐怖といった心理的ストレスそのものが胎児の発達に影響を及ぼし得る可能性を示しています。
●Google検索データを用いて新たに構築した「不安指標」により、不安の水準が高い地域ほど出生アウトカムが体系的に悪化することが確認されました。不安の強さに応じて影響が拡大する「用量反応関係」(※1)が示されています。
●こうした影響は社会経済的に不利な立場にある妊婦により強くみられました。災害による心理的ストレスが既存の健康格差を拡大させ、次世代に長期的な影響を及ぼす可能性が示唆されます。
恐怖や不安そのものが、胎児の健康に影響を及ぼすことはあるのでしょうか。しかし、その影響を物理的被害と切り分けて明確に示すことは、これまで困難でした。本研究は、その問いに対して、物理的被害がなくても、不安そのものが胎児の健康に影響を及ぼし得ることを示しました。2011年の福島原発事故後、日本全国で放射線への不安が広がりました。これは、実際の放射線被ばくがほとんど確認されていない地域にも及んでいました。本研究では、約100万件の出生記録と国勢調査データを結合し、Googleトレンドの検索データから構築した新たな不安指標を用いて分析を行いました。その結果、不安の水準が高い地域に居住する妊婦では、早産が約17%増加し、出生体重も22〜26グラム低下していたことが明らかになりました。さらに、こうした影響は、教育水準や所得が比較的低い妊婦において特に大きく、影響が集中していることが示されました。
本研究は、早稲田大学商学学術院の富蓉(フ・ヨウ)准教授(兼コロンビア大学客員研究員)、ソウル国立大学社会学部の???(ソン・ユンキョウ)准教授、神奈川県立保健福祉大学ヘルスイノベーション研究科の沈奕辰(イチェン・シェン)助教、早稲田大学政治経済学術院の野口晴子(ノグチ・ハルコ)教授による研究チームによって実施されました。
本研究成果は、Elsevier社が発行する国際学術誌『Journal of Health Economics』(論文名:Invisible threat, tangible harm: Radiation anxiety and birth outcomes after Fukushima)に掲載され、2026年3月7日(現地時間)にオンライン版が公開されました。
これまでの研究で分かっていたこと
健康経済学および疫学の研究では、妊娠期における妊婦のストレスが出生体重や在胎期間といった出生アウトカムに悪影響を及ぼし、それが子どもの教育成果や将来の経済的成果にも長期的な影響を及ぼすことが示されています。こうした研究においては、地震、ハリケーン、テロ攻撃などの自然災害が、疑似的にランダムに発生するストレス曝露として利用されてきました。しかしながら、こうした研究には共通する限界がありました。それは、自然災害が通常、心理的なトラウマと物理的被害、さらには経済的・社会的混乱を同時にもたらすために、災害によって生じる心理的影響と物理的・経済的影響とを切り分けて分析することが困難だという点です。このため、不安そのものが、物理的被害や経済的混乱とは独立して胎児の発達に悪影響を及ぼし得るのかという点については、これまで科学的に明確に検証することが難しい課題とされてきました。
今回新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、新しく開発した手法
本研究では、福島原発事故後に全国へ広がった放射線への不安に着目し、妊婦が感じる不安や恐怖が胎児の発達にどのような影響を及ぼし得るのかを分析しました。実際の放射線被ばくは主として東北地方に限られていた一方で、放射線への不安はメディアやソーシャルネットワークを通じて全国に広がりました。本研究では、物理的な被ばくがほとんど確認されていない地域に注目しつつ、地域ごとに不安の程度が異なっていた点を手がかりとして、「恐怖や不安そのものが胎児の健康に影響を及ぼし得るのか」という問いを検証しました。
この問いを検証するため、本研究チームは、Googleトレンドのデータを用いて「検索人気指数(Search Popularity Index: SPI)」(※3)を新たに構築しました。これは、事故後1か月間に日本国内の47都道府県において、原子力発電所に関連するキーワードがどの程度検索されたかを測定した指標です。この指数は放射線への不安の広がりを捉える指標であり、事前にほぼゼロであったのが、事故の直後に急激に上昇しました。また、福島に近い都道府県や、原子力発電所が稼働している都道府県でSPIが高い傾向が確認されました。さらに、SPIが高い地域ほど妊娠に関連する医療相談が増える傾向にあったことから、この指標が妊婦の不安を反映している可能性が高いことが示唆されます。
本研究では、心理的影響と物理的・経済的影響とを可能な限り切り分けて分析するため、津波被害地域および高線量地域を分析対象から除外しました。そのうえで、互いに補完的な3つの分析方法を用いました。第1に、事故発生時に妊娠中であった場合と、事故前にすでに出産を終えていた場合とを比較しました。第2に、同一の母親から生まれた兄弟姉妹を対象に、母親妊娠中に事故に曝露した場合の子どもと、そうでない場合の子どもとを比較しました。この方法により、遺伝やもともとの健康状態など、家族に共通する要因を厳格に統制することができます。第3に、都道府県ごとの不安の強さと出生アウトカムとの関係を検証しました。具体的には、SPIを連続的な曝露指標として用い、不安の強さに比例して出生アウトカムが変化するかどうかを分析しました。
これら3つの分析方法はいずれも一貫した結果を示しました。妊娠中に事故に曝露した場合、早産は17%増加し、出生体重は平均で22〜26グラム低下していました。また、家族要因を厳格に統制した兄弟姉妹比較でも、早産が6〜9%増加し、出生体重が約9グラム低下することが確認されました。さらに、用量反応分析の結果、放射線への不安だけで、早産増加の72〜79%、極低出生体重の増加の最大88%が説明されることが示されました。影響は特に妊娠初期に事故に曝露した場合や、教育水準や世帯所得が比較的低い母親において大きくみられました。一方、栄養摂取や健康行動に関するデータを分析した結果、事故後に食事内容や健康行動が変化した証拠は確認されませんでした。これらの結果は、出生アウトカムの悪化が行動の変化ではなく、心理的ストレスによって生じた可能性を示唆しています。
研究の波及効果や社会的影響
本研究は、核事故やパンデミックのような「目に見えない脅威」が、直接的な物理的被ばくがない集団においてさえ、心理的な経路を通じて次世代の健康に測定可能な影響を及ぼし得ることを示しました。この知見は、次の3つの重要な示唆を与えます。第1に、災害時のリスクコミュニケーションそのものが、公衆衛生上の重要な介入となり得るということです。科学的根拠を超えて恐怖を過度に強調するメッセージは、次世代の健康に長期的な影響を及ぼす可能性があります。第2に、妊娠期のメンタルヘルス支援を災害対応の重要な要素として位置づける必要があるということです。特に、社会経済的に不利な立場にある母親ほど影響を受けやすいため、こうした人々を優先的に支援することが重要です。第3に、災害による心理的ストレスの経済的コストは非常に大きいにもかかわらず、これまで公式の被害推計にはほとんど含まれてこなかったということです。本研究の試算では、不安の増大に伴う出生アウトカムの悪化による生涯賃金の損失だけでも、影響を受けた出生コホート全体で約4,800〜6,100億円規模に達する可能性があります(医療費や特別支援教育費は含みません)。
課題、今後の展望
SPI指標は都道府県レベルで不安を捉えるため、都道府県内の個人差が見えにくくなる可能性があります。また、集計的な検索行動が個々の妊婦の不安水準を完全に反映しているとは限りません。個人レベルの心理データが利用できれば、より精緻な推計が可能になると考えられます。本研究では出生アウトカムを主な分析対象としており、出生前の放射線への不安が認知能力、精神的健康、教育達成度などに与える影響については、今後の長期的なモニタリングが必要です。さらに、知覚されたストレス曝露後の親の補償的行動(※4)や、積極的なリスクコミュニケーション、メンタルヘルス介入などによって、これらの影響をどの程度軽減できるのかについても検討が求められます。本研究で開発した方法論的枠組み――デジタルトレースデータを用いて危機時の集団レベルの不安を測定する手法――は、パンデミックや気候関連災害など、今後生じ得る「目に見えない脅威」を伴う事態にも応用可能です。
研究者のコメント
本研究は、中国、韓国、台湾、日本という東アジアの異なる地域で育った4名の研究者が、早稲田大学で偶然出会い、「次世代を担う人々の健康とwell-beingを左右するものは何か」という問いに対する共通の問題意識から生まれた協働研究です。責任著者の富蓉が日本を訪れたのは、福島原発事故からわずか47日後のことでした。原発から何百キロも離れた地域においてさえ、人々が深い不安を抱えている現実を目の当たりにしました。私たちの研究を突き動かした問いはシンプルです――不安や恐怖だけで、胎児に悪影響を及ぼすことがあるのか。本研究が示したのは、その答えが「イエス」であるということ、そして、危機の際により明確なリスクコミュニケーションと適切なメンタルヘルス支援があれば、今を生きる人々だけでなく、まだ生まれていない命を守ることにもつながり得るということです。早稲田大学ソーシャル&ヒューマン・キャピタル(WISH)研究所(※5)では、国境や地域を越えた研究者の協働を通じて、これからも人類のwell-beingに貢献する研究を続けてまいります。
用語解説
※1 用量反応関係(dose-response relationship):
原因の強さ(曝露量)が増すにつれて、結果として生じる効果の大きさも体系的に増大する関係である。本研究では、不安が高い地域ほど出生アウトカムが悪化する傾向を指す。
※2 早産(preterm birth):
妊娠37週未満で生まれること。新生児期において呼吸器疾患や発達上のリスクが高まることが知られている。
※3 検索人気指数(Search Popularity Index: SPI):
本研究で開発された指標である。福島原発事故後に各都道府県で放射線への不安がどの程度高まったかを、Googleトレンドの検索データを用いて定量化したもの。
※4 補償的行動:
子どもが健康リスクや不利な環境に直面した際に、その影響を軽減するために親がとる行動である。例えば、食事や健康管理の改善、医療サービスの利用、教育投資の増加などが含まれる。
※5 早稲田大学ソーシャル&ヒューマン・キャピタル研究所(WISH: Waseda Institute of Social and Human Capital Studies):
持続可能な社会の実現に向けて、社会福祉や人的資本に関する実証研究および理論研究を行う早稲田大学の研究所である。健康、教育、社会経済的条件などによって形成される人的資本が世代間でどのように継承されるのかを主要な研究課題とし、東アジアおよび世界各地の研究者と協働しながら、不平等、well-being、人類社会の長期的発展に関する政策的課題に取り組んでいる。(https://prj-wishproject.w.waseda.jp/en/index.html)
論文情報
雑誌名:Journal of Health Economics
論文名:Invisible threat, tangible harm: Radiation anxiety and birth outcomes after Fukushima
執筆者名(所属機関名):Rong Fu*(早稲田大学・コロンビア大学)、Yunkyu Sohn(ソウル国立大学)、Yichen Shen(神奈川県立保健福祉大学)、野口晴子(早稲田大学)
掲載日時(現地時間): 2026年3月7日(オンライン公開)
掲載URL: https://doi.org/10.1016/j.jhealeco.2026.103125
DOI:10.1016/j.jhealeco.2026.103125
*責任著者
研究助成
研究費名:厚生労働省科学研究費補助金
課題番号:19-FA1-013、19H05487
研究代表者:野口晴子(早稲田大学)
データ利用承認:統発1005第2号
倫理審査承認:早稲田大学倫理審査委員会(2021-HN010)
【キーワード】
出生前ストレス、出生アウトカム、福島原発事故、放射線不安、早産、出生体重、Googleトレンド、自然災害、健康格差










SEO関連




